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石川文康『カント入門』

世の中に、カントの新書は意外や少ない。カントという名前の知名度はおそらく哲学者の中でもトップクラスかと思われるが、でも、では実際にどういうことを言った人なのか知っている人も、同じく少ないのだろう。

本書は、著名なカント研究者(だった)石川文康氏によるカントの入門書という位置づけにある。しかし、さらっと読めるものではない。三批判のみならず、幅広にカントのエッセンスを説明しており、逐一色々な用語を説明してくれるのはありがたいが、初学者にはどこが問題意識なのか、ピンとこないまま整理立てがノンストップで進んでいく。どんどん、「この問題をこう捉えたカントは、これこれについてはこのように捉えた」のように、新しい説明を追加してくれる。野菜マシマシ状態だ。私は二回読んだ。

 

まとめると、、、

根幹は4つのアンチノミー論。即ち、理性に基づき推論されたものが、結果として二律背反を引き起こす、ということから、理性批判を開始したカントは、時間と空間を直観(感性)の形式と捉えた。ではどのように人間は、物体(主語)と述語を結び付けて認識できるか、というと、そのためには総合判断が必要になる。そしてアプリオリな総合判断のために、カテゴリー(人間の思考の根本枠)が必要になる。

では、第3アンチノミーである、自由による因果性がある⇔すべて自然法則によって起こる、という問題はどう捉えるか?というと、人間は理性界(物自体)と感性界(現象)の双方に跨っている、という事実からこの問いをクリアする。つまり、自然因果を現象界に、自由のありかを英知界に配するのだ。そしてカントは、倫理において、仮言命法(AならばBすべし)を認めず、定言命法こそを必要なものとしているが、定言命法における条件付けの不在こそが、意思を「自律」たらしめるのである。そうして自由は道徳法則の存在根拠であり、かつ道徳法則は自由の認識根拠、になる。

しかし、人間の行為のみ目的が設定され、自然の因果的現象には目的は存在しないはずなのに、自然は非常に秩序だって動く。これが合目的性である。これにより、認識能力→知性→合法則性→自然、行為能力→理性→究極目的→自由、に対し、感情能力→判断力→合目的性→技、が整理された。主観的でありながら、アプリオリで普遍的な判断力という訳である。このためには「共通感覚」(このバラは美しい、等)が肝要になる。ところで、目的の設定者は人間である限り、人間の目的は人間とならざるを得ない。

第四批判として、宗教論がある。カントの認めるものは唯一、理性宗教である。人間が道徳的陶冶を実現するには、人間が根源悪であり、そして回心を通じて善への道を取ることが必要である。そのための理性宗教であり、カントは、原罪のような宗教的概念を認めないが、そのうえで啓示宗教は「みずからをあらわにする」ものとして肯定する。その理屈から、キリスト教を唯一の理性宗教たりうるものと認めつつ、「神の子」という理念(理性概念)は、(イエスの実存といえども、)あくまでわれわれ自身の理性の内に求められなければならない、という非常にラディカルな結論に至る。宗教的儀式とはあくまで手段であり、あくまで目的は義務遂行であり、多くの宗教とは、言い津の理性宗教に対する多くの信仰形態に過ぎない。こうした発想の発端は、ルソーを経験してことでの回心により、「独断のまどろみ」から目覚めたことに由来する。

 

新書まるまる一冊を要約というのは、ちょっと無茶だったかもしれない。頑張って書いたはいいけど、結果、よくわからないものになってしまった…。

 

 

カント入門 (ちくま新書)

カント入門 (ちくま新書)