レスリー・アン・ジョーンズ『フレディ・マーキュリー~孤独な道化~』

日本では十数年ぶりにクイーンが流行り、映画業界はボ・ラプの二匹目のドジョウがいないかと探しているなどと聞く。一方で当たり前の話だが、映画は多くの脚色を含む。私も観たとき、「ここ時系列おかしくない?」「え、ここなに?」なんてのが結構あり、じゃあ現実のクイーン、フレディはどんなだったのかを調べたいとき、フレディ伝記の決定版と言ってもいい本書は、既存の伝記を踏まえたうえで、多くの関係者に対して具な情報収集を実施しておりかなり役に立つ。

例えばフレディの出生まで遡って出生届を見に行き、バルサラからマーキュリーに本名を変えたと言う情報の裏付けのために役所に行き話を聞き、また学生時代の同級生でフレディがとある女性のことが好きだったかもという噂があればインタビューを取り、ととにかくその情報収集は力作と言うに相応しい。また既存の伝記の記載の間違いがあればその緻密な分析から、積極的に指摘をしていっている。そもそも一時的にツアー同行していた筆者だからこそ、多くの関係者から話を聞けており、そうして映画のフレディを脱神話化し、スーパースターにありがちな孤独な道化ぶりを浮き彫りすることができた。

読めば読むほど辟易する箇所もある。同性愛にはまり、酒地肉林の日々を送り、という1980年代前半あたりについての記載は、それが原因で死に至ることを知っている我々としては気持ちの良いものでもない。それでも病気が進行してからは生活は大人しくなり、ロンドンのガーデンロッジで映画にも出てきたジムハットンを含む男女で生活していたという。死の瞬間についてまで収められているし、本書にはその後すら書かれている。

ここで気になるのはメアリーという女性の存在だ。フレディの死後、遺産としてガーデンロッジはメアリーに引き継がれた。とにかく優しい女性で、フレディの信頼が最期まで厚かったのだろう。しかしハットン達は相続後のメアリーに追い出され、そして神話化されたメアリーという女性は怒りの対象として暴露本が描かれた。著者インタビュー取れたのは、ジムハットンやバーバラバレンティンなどメアリーに対して恨みを持っている人たちに対してだけであり、本書も概ねメアリーの脱神話化には、積極的ではなくとも荷担している。但し優しいとは殊更に強調されており、実際のところはよく分からない。きっともはや誰にも分からないのかもしれない。

こうして見ると、結構グズグズで決して綺麗な生涯ではない。クイーンに参加するまでにもっと色々あったし、ライブエイドで復活、はその嫌いがない訳ではないが明らかに「やりすぎ」だろう。裏返すと、演出の妙が無ければそこまで面白い作品になったわけもないんだろう。そんな安易に二匹目のドジョウはいないどころか、映画業界はきちんとドジョウは自分で作らなければならない。

フレディ・マーキュリー~孤独な道化~

フレディ・マーキュリー~孤独な道化~