筒井康隆『ビアンカ・オーバースタディ』

4年ほど前、ライトノベル界とSF界、文学界が騒然となった。「筒井康隆御大がライトノベルを書くらしい」。 しかし、よくよく振り返ってみれば、そう違和感のあることでもない。ヤングアダルト向け(ライトノベルの昔の呼称と言って差し支えないと思う)というか、”それ”っぽい小説(『時をかける少女』なんかが該当)はこれまでも御大の手により書かれてきており、それに、いとうのいぢの挿絵が付いてくるだけだろう、そう考えていた。

 

そこで当時、どこかの雑誌に連載されていたのだと思うが、─調べたところ、ファウストに連載されていたらしい─、立ち読みしてみた。ポルノグラフィと見紛うような性的な描写しかなくて、御大らしい書きぶりとは言えるが、残念ながら御大とは老人の呼び名であることを想起させるに十分なものと言えた。憂鬱な気分に陥った。

あれから4年経ち、文庫化される運びとなった。4年前と言えば前回の夏季オリンピックが開催された年であり、つまり4年は、前回の興奮など忘れて楽しめるだけの長さの期間なのである。逆を言えば、つまらないと感じたこの感情も、再度新鮮に味わえてしまった。

 

深読みしたい勢は、これをメタラノベだと言う(文庫版にはあとがきが無いが、ハードカバー版では本人のあとがきに、はっきりとメタラノベだと書いてあったらしい。なのでその読み方は正統的でもある)。

作中では、章の始まりが稚拙なリフレインとなっており、これは出来の悪いライトノベル業界の表現への警句とも読める。また、アニメやライトノベルばかり読んで生身の女性に手を出さない草食系男子への批判とも読めることが書いてあり、それに反するように、猥雑な展開が繰り返され、ビアンカは男性器を扱くのだから、言わんとすることは分かる(ポルノグラフであるラノベ批判とも、ラノベ読者批判とも捉えられようか?)。本文中に色々毒づいているし。ご本人もそのつもりで書いているのかもしれない(ハルヒに影響されて書いたとは、『創作の極意』か何かに書かれていた気がするが、ハルヒはそんな小説では無かった。変なドラッグでもやりながら読んだのだろうか?)。

しかし、それではあまりにも杜撰で、そんなメタなら最早無いほうがマシだ。素直にライトノベルとして読めば、爺の爺っぷりが目に付く。表現が古すぎる。話し言葉があまりに現代的ではない。キャラクターが死んでいる。タイムマシンを使ってはいるが、SFとしては見るべきところはあまり無い。今のライトノベルは、これよりまともなSFはあるのでは、と思ってしまう(と言ってもライトノベルの優れた読者ではないので、詳しくは言えないが)。ラノベとして面白く読めないのに、メタラノベとしては読めるから許容しろともし言うのであれば、擁護の仕方を間違えたファンは、小説家を殺しているに過ぎない。

御大ファンかどうかで評価は大きく分かれるだろう。私はイマイチ。

(以下はあとがき)

筒井康隆『ビアンカ・オーバースタディ』あとがき Illustration/いとうのいぢ | 最前線