村田晃嗣『アメリカ外交 苦悩と希望』

トランプ氏が大統領選に勝利してからというもの、彼の今後の政策がどう出てくるのか、各長官の情報についての噂が出る度に大袈裟なまでに報道がなされている。大統領選で彼が主張していたスタンスと選ばれている人材にいったい整合性があるのか、あの選挙中の発言は嘘だったのか、あるいは実行力を見せつけてくれるのか、まったく先行きは見えない。特に財政政策や、金融の規制をめぐって、相場は荒れに荒れている。Brexitのとき、米金利があそこまで下がるとは思っていなかったが(テールリスク狙いのコール勢すごい)、いまや逆方向に思わぬ動きをしている。

それではトランプという人物は、アメリカ史上に類を見ない怪人物であるのか。私の感覚的には、ある種のアメリカ人的な性質の持ち主にすぎないのでは、と思っていたし、本書ではミードに従って、大統領を四つの類型にまとめているが、十分に類型化されうる人物に考えられる。

四つの類型とは、ハミルトニアン(海洋国家、対外関与積極的)、ジェファソニアン(大陸国家、選択的な対外関与)、ウィルソニアン(普遍的な理念)、ジャクソニアン(国威の高揚を重視)という四パターンであり、トランプ氏はミードによるとジャクソニアンに該当する。http://www.wsj.com/amp/articles/donald-trumps-jacksonian-revolt-1478886196:titleジャクソニアンの復権

本書は、こうした類型を基に、アメリカ外交200年間を大きくまとめあげている。とは言え、村田晃嗣という人はカーター政権期が当初の専門である以上、半分以上は直近30年間の外交史であり、最近のアメリカ外交が簡単にはまとめられている。どちらかと言えばトリビアルな情報が多く、新書らしい新書といった具合。参考文献が日本語で手に入る書籍であることを見れば分かる通り、読みやすさ重視だった。

しかし、ジョセフ・ナイの『国際紛争』の分析枠組みである、「国際システム」「プロセス」を紹介しているが、はっきり言ってその後の分析には全く生かされておらず(申し訳程度にまとめとして使ってはいるが、分析への影響がないのである)、ほとんどカッコつけの領域だった。

 

アメリカ外交 (講談社現代新書)

アメリカ外交 (講談社現代新書)

 

 

 

黒崎輝『核兵器と日米関係 ─アメリカの核不拡散外交と日本の選択1960-1976』

1. シンゴジラ評論から

twitterで著名のMValdegamas氏(旧・スースロフ氏)が、ブログ(シン・ゴジラ論のあとのシン・ゴジラ論 - Valdegamas侯日常)で書いたシン・ゴジラ評。政治史、外交史的な立場から評論した数少ないエントリーとして、ネット界隈で注目を集めていた。

まとめると主張はシンプルで、国内政治において首相の決定があまりにも簡単に行われていること、外交においてアメリカに対する「従属」ばかりがフォーカスされ過ぎていることの2点に違和感を覚えたというもの。あまり作品を語るときに、テクストの外にある社会的な事実を、批評の参照点にしたくはないのだが、あえて既に語り尽くされたそうした言説を凡庸に繰り返すならば、東日本大震災に対する首相の無力さと、米軍に頼った事実を(ユーモアとして、あるいは、当てこすりとして)作品に重ね合わせることで政治や外交について訴えたいことがあったものと推察できる。きっと誰かの、そうした政治的な懸念が表出した結果があの映画であったのだろう。が、ここではあまりシン・ゴジラ自体について深入りするつもりはない。

本エントリで言いたいのは、そのうちの外交部分における、米国に抑圧されてきたという日本人の外交史観である。氏は、過去のエントリでも孫崎氏の残念な書籍を批判しているように(戦後史の正体、だったか)、日本外交とは従属の歴史では無かったと何度か主張している。実際、ここ十数年に出版されている、詳細な一次史料に基づいた日本外交史についての研究は、その主張を十分に裏付けている。のにも関わらず、孫崎氏のような左派に限らず、多くの右派も同様に、未だに「自虐史観」(右派が使いがちな用語ではあるが、右派も左派と同様の陥穽に嵌っていると思う)に陥っている。シン・ゴジラという作品は、そうした歴史観の現れだった。(の割には、首相は一元的な政策決定者として描かれており、非常に優秀だった。)

 

2.核兵器と日米関係から

話は戻って(というか一度も本書をしてはいないが)、『核兵器と日米関係』である。なぜシン・ゴジラと絡めて本書を紹介しているかというと、シン・ゴジラにおいて決定的な要素であった「核」という、米国が独占的に管理して日本は何もできなかったというイメージの強い兵器について、実は1960年代に入って日本が主導的に米国を動かしていたことを非常に分かりやすく示してる。言い換えれば、米国は日本を好きにコントロールできた訳ではなく、外交の結果とは、日本の政治との調整の産物に過ぎなかった。そして、日本にも核を持つ可能性があった、あるいは持とうとする事実(佐藤首相は、核保有への欲求は持っていたらしい)が存在しており、焦点になりやすい「核」ですら、決定的な従属関係にはなかった、ということである。(言葉の定義次第ではあるが、必ずしも従属関係がなかった、とまで言うつもりはない。少なくともハイラーキー(階層性)はあっただろうから。)

本書では、特にNPT条約の調印(ずいぶん長いこと日本側は調印を留保し、国務省をやきもきさせた)、およびロケット開発について、日本と米国の乖離を示している。特に後者については、既に平和的利用の名の下に原子力を利用していた日本にとって、ロケットを自国で開発するというのは、そのナショナリスティックな自尊心を充足させるのに重要なファクターであった。ロケットを作れてしまえば、核兵器化するのはあまり難しくないのだから、それもむべなるかなと思われる。また、国際政治の現実主義的な観点からすれば、こうしたインセンティブは、中国の核開発に基づく危機感に由来するナショナリズムであり、かつ同盟の「見捨てられる不安」によるものと言えるだろう。そうした理由から、日本はロケット開発について、米国の技術協力には消極的に対応し、自国での開発にかなりこだわったようである。

後知恵的には、日本は核兵器保有していないのは所与のように見えるが、より子細に一次史料(本書ではFRUSが多いだろうか)を使って歴史を追いかけてみると、もし、ニクソンによる米中の接近(いわゆるニクソンショックの内の一つであり、その後米ソデタントを引き起こした)がなかりせば、それでも尚、日本は非核兵器国という状態を維持していたのか、当然の疑問として湧いてくる。

さておき、本書は既に容易には手に入れられないかもしれないが、「自虐史観」(左派であれば、「対米従属」的な戦後史であり、右派であれば押しつけ憲法、押しつけ同盟)を抱いている多くの人々に読んでもらいたいと思う。2006年サントリー学芸賞受賞(黒崎 輝 『核兵器と日米関係』 サントリー学芸賞 サントリー文化財団)。

 

筒井清忠編『昭和史講義』

 かなり気合の入った執筆陣による、戦間期についての論文集。

研究の最前線にいる研究者が、自身の専門について最先端の内容を盛り込んでいるため、生半可な気持ちでは読めないが、高校日本史程度の前提知識があれば、「あの時習った話は、最新の研究ではこうなっていたのか」という発見があるのではないか。

しかし、あまり強い編集方針は無かったのだろうか、注の付け方や、そもそもの書きぶりに差異が大きく見られる。「なるほど、これは最新の研究ではこうなっていたのか」、とせっかく興味を示しても、章によってはそれがどの研究に基づいた記述であるのかが明確でない場合がある。少し残念である。参考文献を逐一読み返すしかなくなってしまっている。

書きぶりについては、やはり面白いのは筒井先生の箇所である。二・二六事件関連の研究書はいくつか出されているが、いずれも白眉と言われるものであり、歴史の潮流からどう位置づけられるのか、がここまで描ける日本近代史家は稀なのではないか。それぞれの論文が高品質ではあるため、逆に言えば、この時代を通底するような観点はなく、筒井先生の手による、より広範な歴史研究が見てみたい気もする。

 

以下に、本書にて「最新の研究では」やそれに準ずる表現があった箇所を非常にざっくり抜き出してみる。(網羅するつもりはない。)

・渡邉公太/ワシントン体制…「ワシントン体制」という概念で議論することに疑問。幣原は満州安定化を模索。「英米協調主義」と言われる幣原は、対英では不適。九カ国条約の無力化、国内革新勢力の台頭、幣原のパーソナリティから幣原外交は潰えた。

・小山俊樹/大衆デモクラシー…?

・家近亮子/北伐&張作霖爆殺…昭和天皇「協調外交」が基本。田中義一、蒋との意識のずれが第二次、第三次山東出兵へ。

・畑野勇/ロンドン軍縮条約…個別条約批判から対英米協調外交批判へ。昭和天皇条約賛成派。締結のため、新聞世論に依存

・等松春夫/満州事変…?

・柴田紳一/天皇機関説…?

筒井清忠/二・二六…?(青年将校を「改造主義派」と「天皇主義派」に分類。改造派による上部工作、木戸幸一の対処案が重要であることを解明)

・岩谷將/盧溝橋…?

戸部良一/日中戦争…?

・花田智之/ノモンハン…双方とも大勢の死傷者数。ソ連スパイ説(確証に至らず)。共産党は西方攻勢に先んじたノモンハンの勝利を重要視。四国京証構想の歴史的経緯や実現可能性。日ソ中立条約←中華民国と日本が正常な国交を回復するまでは不可侵条約無理。

・武田知己/三国同盟…同盟の実質の欠如と激しい相互不信

・牧野邦明/近衛新体制…?(個人的にはこの章は気になったので、機会があれば別でまとめるかも)

・森山優/開戦へ…須藤眞志以降、大筋を書き換える外交史の著作なし。なぜ全面禁輸になったのか、いまだに議論。東郷の強硬態度・叱責は批判が多いが、その後も乙案。ハル・実は直前まで対日妥協を模索。直前で暫定協定案提示あきらめ。諸説さまざま。陰謀なし。

・鈴木多聞/終戦…降伏は原爆orソ連。御前会議の影響。ポツダム宣言早い受諾。天皇降伏1.日本民族亡び、2.三種の神器の移動間に合わず。対軍不信。日本 ソ連参戦認識も、時期読めず。

・井口治夫/占領…?

 

ざっとまとめ過ぎたので漏れはあるかもしれない。にしても、研究動向をきちんと書いてくれてあるものと、そうでないものの差がはっきり分かれている感じは、ある程度読み取れるかと。

昭和史講義: 最新研究で見る戦争への道 (ちくま新書 1136)

昭和史講義: 最新研究で見る戦争への道 (ちくま新書 1136)

 

 

三井住友信託銀行マーケット事業『第6版 投資家のための 金融マーケット予測ハンドブック』

前のが消えてしまったので、再掲。 

 

さして面白いわけではない。予測ハンドブックとあるが、別に予測に使えるわけでもない。GDPや様々な指標が発表されたときに、それがどういう意味を持つのか、あるいは今後どういう発表がなされるのか、ということを理解するときに、パラパラと読むべきもの。手元に置いておけばある程度参考にはなるが、素人投資家程度であれば別に各指標発表サイトに記載してある、重要度、市場予想さえ確認しておけば、あまりたいした意味はないかもしれない。ネットで出典元を辿ることが容易になり、また情報ツールがこれだけ出回る時代に、存在意義をどのあたりに見出すのだろうか?

第6版 投資家のための 金融マーケット予測ハンドブック

第6版 投資家のための 金融マーケット予測ハンドブック

 

 

ジョン・L.ガディス『冷戦』

前の記事で、dragoner氏の『安全保障入門』についてレビューした。そこで、やや歴史の叙述に難があった旨を書いたが、確認のために冷戦史入門として本書を読み返したところ、やっぱり面白かったのでここで紹介したい。

本書はこれまで、第二次世界大戦後のたった10年のため、学生たちに数百頁を読ませなければならないことに苦慮していた(おそらく[Strategies of Containment 1982]や[We Now Know 1997](邦題:『歴史としての冷戦』)のあたりだろうか?)ギャディスが、冷戦史を一望できるものを提供する目的で記したとある。その目的に相応しく、冷戦の起源から、冷戦の終焉までが非常に大きな視点で描かれている。

正直、本書の書評については、以下の森聡先生のもので言い尽くされている感もないではない。

【書評】「冷戦―その歴史と問題点」J.L.ガディス著(河合秀和・鈴木健人訳) | 政治外交検証 | 東京財団

批判を一言でまとめてしまうと、微細に事実に記してないため、史的な因果関係が見えづらい、ということだろう。

 

というわけで、上記をフォローした感想を以下では示したい。

本書は 研究書ではない位置づけだけあって、書きぶりは大味である。そのあたり、賛否両論というか、否の方がむしろ多い感じもする。特に本書は、入門書としては使えない。何年に何が起きて、その影響で誰が何をして、結果何が起きて、という事実が時系列順に並んでおらず、冷戦史を「知っている」前提の記述も多い。簡単に手に入り、入門に適するものとして、石井修『国際政治史としての20世紀』や佐々木雄太『国際政治史』、松岡完『冷戦史』、ドックリル/ホプキンス『冷戦』などで事前準備をしておかないと、本書の議論にすぐに振り落とされる危険もある。

しかし、一定の理解があれば、本書はかなり有用である。ギャディス(ガディス、という訳はあまり一般的ではない気がする)流の冷戦史理解がふんだんに盛り込まれ、単なる時系列順ではなく、強い問題意識の下で各章が描かれているため、なぜスターリンは、なぜフルシチョフは、なぜ…という問いに十分答えてくれる。論理展開はややアクロバティック(例えばニクソンウォーターゲート事件を「公正さ」の復活として、冷戦史を「公正さ」という論点から組み立て直すなどは、もはや剛腕…)。若い世代の論文にあるような平易な英語ではなく、レトリックが駆使される分、政治における人間が浮かび上がる。もういっそのこと、起源、終焉の原因も強く主張してくれてもよかったのだが、そこはやや言辞に誤魔化された節もある。

アイケンベリーによる書評でも、冒頭に"beautifully"とある。(The Cold War: A New History | Foreign Affairs)(なおアイケンベリーは本書評にて、ギャディスは"the contingencies of individuals, ideas, critical decisions, narrow escapes, lost opportunities, and lurking dangers "が冷戦を特徴づけたように描いていると評する。)

気鋭の学者による、最新の研究を完璧に封入した偏りのない完璧な冷戦史、とは趣は異なるかもしれないが、だからこそ、ここには歴史研究の一番面白い部分が詰まっているように思えるのだ。大家にしかできない仕事の仕方は、一番の大家にやってもらうのが最良だと思える。

冷戦―その歴史と問題点

冷戦―その歴史と問題点

 

 

石動竜仁『安全保障入門』

 twitterで有名なdragonerさんがついに安全保障の入門書を新書で出した。

そもそもの彼の印象としては、ミリタリー界隈の人。私はあまり大きく専門が被る印象ではなく、安全保障「も」やっている人、というイメージ。コミケ90にて、同人誌『シン・ゴジラから見る日本の危機管理体制』を買おうと思っていたところ、売り切れの札を出してブースでボンヤリしている氏を見るに留まってしまい、仕方なく本書を本屋で購入。しかし同人誌の委託販売をやってくれたものだから、両方とも購入してしまう羽目に。悔しい。

で本書、『安全保障入門』。しかし、安全保障を入門するとは難しい。明確な学問領域が確立していない、というか、研究者は自分たちのプレゼンスを高めるため、逆に広げている節すらある。「新しい安全保障」などと称する概念を作り上げ、経済、人間、環境、といった大戦後に出てきたような政治的な話題を「リスク」であると喧伝し、そしてもはや何が安全保障なのかよく分からなくなってしまった。これではウルリッヒ・ベックの思う壺ではないか!(拡張する「安全保障」概念については、Barry Buzan 1991などが定番だろうか。北米系の国際関係論(IR)よりも英国系、欧州系のIRが好む論点だろう)

ではそういった「新しい」安全保障に対して、それぞれに研究は深まっているかというと、いまいちよく分からない。個別研究は論文誌を読むとちょこちょこと積み上げられているようにも思えるが、広義の安全保障とは、広告代理店的な、名前を作ることで存在をアピールしようとする色が強いように感じてしまう。

 

前段が長くなってしまった。本書は以下の通りの章立てになっている。標準的な安全保障学入門(例えば武田康裕編)とあまり性質に違いはない。

第1章 安全保障の論理

第2章 戦争の論理

第3章 平和の論理

第4章 世界の諸問題

第5章 日本の安全保障問題

いずれの章でも、それぞれについて定義と、その領域における様々なトピックスが羅列される。

トピックスは網羅されている訳ではないが、それでも非常に教科書的であることは、新書サイズで安全保障について語った書籍が少ない現状において褒められたことかもしれない。一方で、トピックスは羅列されるに留まり、一つ一つの概念を掘り下げることは殆どない。だからこそ、例えば自分の詳しくない「新しい」安全保障の領域は紋切り型になってしまう。後半部分における「日本の安全保障問題」はというと、結局伝統的な安全保障の実例しか出ておらず、これでは「新しい」安全保障について言及した意味がない。また、歴史は苦手なのだろう。その叙述は非専門家に相応しい浅さしかなく、現代的な示唆も薄い。(細かな論点で言いたいことはいくつかあるが、長くなりすぎるのでここでは踏み込まない)

結果、本書の強みがいまいち見えない。一番の難点は、問題意識の薄さだろう。言いたいことが見えないのである。

カバーに「識者それぞれが異なる見解を表明している現状は、安全保障を一層分かりにくいものにしてしまっています。そこで本書では、それぞれの立場がいかなる論理で安全保守概念を形づくっているのかという基礎知識を提供したい」とあるが、本書はこの問いに答えていない。まえがきに、言説に差異が見られることについて、「国際法学、軍事学、平和学など、それぞれの論者がバックボーンとして持っている学問領域の違いに由来する面が大きい」と書いており、第一章が「国際法学が議論してきた安全保障」、第二章が「軍事学的な観点から戦争を」、第三章が「平和学が提唱する平和」について語るとあるが、異なる観点を異なる学問領域から説明したって、「識者それぞれが異なる見解を表明している現状」の追認にしかならない。そもそも安全保障における様々な議論とは、「国際法学」ではなく、「国際関係論」(日本では「国際政治学」)だろう。国際関係論内での議論の差異に触れず、「基礎知識」と称して論点を羅列するのでは、意図的に問いに答えてないのでは、という気すらしてくる。そもそも、国際法学の下にIRが入っているとは、この人はいったいどの国で学問を学んだ人なのだろうか?? ?

何にせよ、わざわざ読むならば、も少し金を出して、『安全保障学入門』とか読んだ方が安全・安心。ベストは高坂正堯『国際政治』(1966)だが、いかんせんやや古いので興味のある人にしか響かないか。

 

安全保障入門 (星海社新書)

安全保障入門 (星海社新書)

 

  

新訂第4版 安全保障学入門

新訂第4版 安全保障学入門

 

 

 

国際政治―恐怖と希望 (中公新書 (108))

国際政治―恐怖と希望 (中公新書 (108))

 

 

蜂須賀一誠『為替商品取引の実務』

 以前紹介したUBSの為替本は、どちらかと言えば金融マン向けの色合いが濃かったのに対し、本書は企業の財務担当者向け。輸出入のある企業にとって、当然為替リスクをどうヘッジするかというのは収益にダイレクトに影響してくるところであり、無視できない問題である。副題は「外国為替の基礎から管理の戦略まで」とある通り、基礎だけでなく、どのように為替のポジションを持ち、それをどのように管理するか、についての基本的な考え方が載っている。

直物、先渡(為替予約)、通貨オプション、通貨スワップを基礎として説明した後、 貿易編(管理体制、想定為替レート、ヘッジについて、ポジション管理について)、海外投資編(外債投資と、その為替ヘッジ、エクスポージャーのコントロール(リバランス)について)といったのが内容であり、カバー範囲は広め。

その分、実務ベースでどう財務管理をするか、エクスポージャーのコントロールをどうするか、と考えると本書では薄い。金融マンが営業をする際に、うすーく、幅広に、顧客の為替のポジション管理をイメージするために活用する方がもしかしたら有用かもしれない。

とは言え、本書は2013年執筆と新しい。ご存知、リーマン・ショック以降の円高推移を受けてADRが頻発したわけだが、為替ヘッジの導入の例として、長期ヘッジがリスクになることをはっきりと書いてあることは時勢に合っており、これはありがたい。(レバのつくデリバはヘッジには不適切、とまで書いてしまうのは、金融庁が認めている以上、やや踏み込みすぎの嫌いもあるだろうが…)

もちろん、FXの為替予想には役に立たないが、そもそもそれは範疇にない。

 

為替商品取引の実務

為替商品取引の実務