小倉和夫、康仁徳『朝鮮半島 地政学クライシス 激動を読み解く政治経済シナリオ』

 前回、ウォルツ、セーガン『核兵器の拡散』についてのエントリを書いてから、引き続き我が国の西方が騒がしいままである。

と言っても、ほとんどが我が国を飛び越してやり取りされているので、東西に挟まれて我が国はなすすべなく、手で頭を押さえてしゃがみ込むくらいが関の山なのだが。。。

テレビは平常通りとして、最近ではTwitterでも素人時事政談が繰り広げられ、皆が皆、私は北朝鮮の思惑が分かってますというしたり顔で語るものだから、食傷気味どころか完全に下痢になってしまった。基本は、<平和ボケをしている間にこんなになってしまった>、<どうして日本人はこうまで平和ボケで、本当の戦争を知らなくて>、、、という自称リアリスト達の悲観的な笑顔ばかりが目に付くのだが、残念ながら「本当の戦争」なるものを知っている人は、そもそも世界的に見てほぼいない。どの視点で見ても、何が起きていて、これから何が起こるのか、など本当のところは分からない。況してや当事者であればあるほど、冷静な分析・観察はできない。 

さて本書は、日米中露韓の朝鮮研究者(東アジア研究者)が揃って、かの問題に様々な視点から取り組んでいる。怎、日本人は日本から見た北朝鮮についてしか知らない。だから例えば、北朝鮮と中国が常に歩を同じくをすると勘違いする人すらいるが、当然のことながら現実的ではない。中国にとって、北朝鮮を見捨てるというのも選択肢の一つにあることは十分に合理的であるはずなのだが、中国側の視点が欠けるとそれすら考えられなくなる。中国人研究者である姜龍範の論文は、中国側から見たら地政学的要地であり、しかし制御できない北朝鮮、という両面があることを描き出す。そういった風に、複数の立場から語られるということは、それ以外の立場である人間からは見えないものが見えることがママある。これらを上手く統合できれば、随分と奥行きのある景色になってくる。

あるいは、核のエスカレーションについて米朝相互の動きをきちんと史的に追いかけることも出来ずに、今回の発射にばかり視線をやってしまうのも問題であろう。三代目個人のパーソナリティがそのまま北朝鮮と言う国家の動きな訳がない。勿論、初代、二代目からの経緯があるはずである。どうして、一度は沈静化した核開発を復活させるに至ったのか、を理解することは、彼らのインセンティブ自体を把握するのに有用だろう。

当たり前のことだが、ある国家(北)のインセンティブは別の国家(米)の動きに刺激された結果、ということが大いにある。一方で、別の国家(米)の動きは、勿論ある国家(北)の動きのみに由来するはずもない。それとはまた別の国家の動きであったり、国内、大統領のパーソナリティ、全てが影響する。倉田秀也論文は、核開発の流れについて、主に米朝平和協定と非核化、という観点から組み立て直しており、米朝中の視点を織り交ぜて叙述することで、その当たり前の前提を思い出させてくれる。

プログラムとしては、以上の通り、地域、歴史の両面から北朝鮮を立体的に描こうという試みであり、評価に値する。一方で内容は玉石混交の論文集であり、ベテランであっても、あ~手抜きしてるな、というのが分かるのもちらほらある。何より、注釈のつけ方がまちまちなので、どれがどこから判断された事実であるのかが読者には追いづらくなってるのが残念である。うまく抜き出して読めれば有用なのだが…。もう一歩、物足りない。