池内紀『カール・クラウス』

池内紀という人の書くものは大概面白い。ドイツ文学まわりではピカイチだろう。その池内紀による若書きの著であり、「大学を出てから二年ほどして」「「教授資格取得の」ために」書いたものだそう。しかし、カール・クラウスという名前は、思想まわりを勉強したことがある人を除いて聞いたことのある人はいないのではないか。20世紀前半のウィーンでとにかく論争をしかけた有名な変わり者らしいが、明確に「これ」という定まった思想のある人ではなく、彼の思想のフォロワーが存在するわけではない。ひたすら900号あまりの、『炬火(ファッケル)』という批評活動の個人誌を出し続けたと聞くと、よくもまあ、そんな批判を繰り返したものと少し呆れる。

本書を読んでいても、シニカルで、ことばにとにかく含みを持たせる嫌な奴というのがまずもっての印象だった。しかし、そんな捉え処のない人物が、いまだ21世紀の日本で尊敬を受け続けるのは、戦争を批判し、政治家や資本家と癒着した新興ジャーナリズムを叩いたその事実であり、その徹底した確固たる態度があったからだろうか。当時、彼にはかなりのファンがついていたらしい。その舌鋒の鋭さは当時の知識人に受けた。偉くて、賢い人物が、批判の矢面に立つ批判家さんを見て「そーだ、そーだ」と声高らかに叫ぶのは、今でもよく見る構図だ。しかし同時に、わざわざ現代の日本人が読む必要があるかどうかは、知らない。