筒井清忠『戦前日本のポピュリズム 日米戦争への道』

ポピュリズムが大ブームだった。

2016年頃、「2017年は政治リスクが多発する」みたいな言説が拡散したが、それは2016年の鏡像というか、Brexitとトランプ当選という想定外(と言っても世論調査では僅差だったはずだが)という事態を受けて、2017年も続くはずだ、という観測の下でなされた予言だった。そして実際には、思ったよりもイベント自体は盛り上がりに欠けた。

その一方で日本はというと、総理の個人的なスキャンダルはあったものの、概ね磐石だった。安倍首相とは愛国的な理想主義者と思いきや、むしろ民主主義の守り手の一角と言われたくらいであり、ポピュリズム旋風みたいなものは起こってないようにも見える。しかしそのなかで、日本国内の一部勢力の動きと、それにより動く政党政治だけを見るのならば、現代政治は戦前のものと相似しているのではないか。これが筒井先生の問題意識であり、これについては概ね同意できる。いわゆる「軍靴の足音」が聞こえる云々ということではない。混乱を引き起こした戦前日本のモチベーションは、現代日本でも似たようなものが見られており、それは使い方次第では戦争の遠因にはなりうるので留意しなくてはならない、ということである。

本書では、戦前のいくつかの事件を抽出し、あの時代におけるポピュリズム運動の内訳と、どのように運動が進展していったのか、が描き出される。端緒は日比谷焼き打ち事件である。日露戦争講和条約に対して反発したこの事件は、いわゆる「大衆」が登場した事件として取り扱われる。ここでは警官への不満(軍隊への共感)が、メディアによって増幅され、そして天皇ナショナリズムによって支えられることで、武力倒幕派から連なって運動が結実した。

それ以降、大正期のポピュリズム運動はその延長線上にあり、そしてアメリカと中国への排撃へと繋がった。また平等主義的な動きもあったが、こちらは普通選挙の導入により一旦の収まりを見せた。ここまではよくあるストーリーである。

その後にフィーチャーされるのは、なんと朴烈怪写真事件である。所謂、原敬に次ぐ平民宰相として若槻内閣が好評の内に成立した。その後いくつかの政治スキャンダルがあり、この大逆事件において朴烈と金子文子の情愛がスキャンダラスに伝えられ、そして恩赦によって無期懲役へと減刑された後、監獄において抱き合う二人の画像が出回ると一転して政争の具へとなっていく。この事件は、普通選挙を控える中で、劇場型政治が強まることが政権打倒まで辿り着いた例として本書では語られることになる。

若槻内閣が倒閣し、田中内閣が大命降下により成立した。張作霖爆殺事件を契機に辞職することになるのだが、その前には、水野文相の辞任騒ぎにおいて田中義一が留任の優諚を天皇に押し付けたとして問題されて天皇に進退伺いを出したり、不戦条約における文言についての問題があり、と天皇シンボルをめぐる抗争によって政権はとうに揺らいでいた。天皇のシンボル性をめぐる問題は政争のための道具として、肥大化したメディアと今ない権威に期待し続ける無責任な知識人という、すべての問題が出揃う。

その後は浜口内閣におけるロンドン海軍軍縮条約に対する統帥権干犯問題が起こり、第二次若槻内閣と、満州事変におけるメディアの劇場性の拡大、そして五・一五事件における政党専横への批判、それへの抵抗としての「中立的な」「天皇陛下の警察官」を歓迎する構造、とこれまでのポピュリズム的特徴が繰り返されることになる。

また国際連盟脱退、帝人事件(検察に乗ってメディアは政権を総叩きし、斎藤内閣倒閣となった後に無罪となると、今度はファッショなどと検察を叩く無責任)、天皇機関説事件(合法無血のクーデターとしての岡田内閣打倒運動化)を踏まえ、その後日中戦争において近衛内閣の人気さにより、議会・世論を考えて和平工作が潰れ、戦争は拡大して行った。

 

ここまで長々とまとめたが、延々と同じ要素が繰り返され、反復し、増幅されていき、もはや後戻りできなくなるくらいになっていったものだということが分かる。そしてその要素は、いまの日本でも概ね同じである。もちろん、要素が同じだからと言って日本が戦争に向かう、などという単純なアナロジーを訴えるつもりはない。だが、いずれも社会における寛容さを奪い、攻撃性を高め、排他的になるのだとすればそれは避けていきたい状態かもしれない。

本書に一つ苦言を呈するならば、ポピュリズムとは何なのか、が明確ではないので、抽出基準がどうなっているのか、結論に都合のよい運動のみをポピュリズムとして取り上げたがための現代への適用可能性ではないのか、すなわち現代へのアナロジーとするには概念化、一般化作業に欠如してるのではないか、などという部分がないわけではない。つまらないケチではあるとも思うが、それでも概念化作業を通じてることで、もっと想定外の事件が抽出されていたかもしれない、などとも思う。