樫木祐人『ハクメイとミコチ』

この世界は趣味で成立している。

本書は全長9cmの小人と、その他森に生きる動物たちの日常を描いた漫画である。基本的なストーリーは、小人のハクメイが同居するミコチを連れ回して、様々な住人と触れ合う日常の様が描かれている。そして、そこにいる彼らが多くの趣味に没頭する姿は大いに人間的で、そしてそれは、より非人間的でもある。

例えば衣服。修理工をしているハクメイ(23歳♀)の親方である鰯谷親方(通称イワシ・ニホンイタチ・32歳♂)は普段は服を着ていないのだが、仕事一筋であるのに業を煮やしたハクメイとミコチ(24歳♀)に街に連れ出されると、飯を食べるとともに普段着も買うことになるというエピソードがあった。(キャラクターの年齢は以下、足下の歩き方より) 

 ちょっと待てと。お前これまで全裸だったのか、と。多くの登場人物(ヒトに限らず動物も)は服を着ている。一方でイワシに限らず、ドブネズミのミソニ&デンガクも全裸だし、コクワガタのコハルも同じく全裸である。四足歩行かどうかかとも思ったが、イワシはイタチではあるが基本は二足歩行しているし、そもそも二足歩行かどうかの区別がどうつけられているか不明瞭である。

一つ言えるのは、倫理的に服を着なくてはいけないヒトを除いて、服を着させることは趣味や酔狂でしかありえない。写真家であり、生きている者達の日常を切り取るヨツユビトビネズミのミミは雨に降られて、明日着る服を心配するが、全裸ではいけないらしい。そもそも日常を撮る写真家とはヨツユビトビネズミのやる仕事であるのか、と考えると、いろいろな行動原理が単なる趣味のようにも見えてくる。

國分功一郎の『暇の退屈の倫理学』を思い出すと、そもそも我々平民は暇などなく、ブルジョワジーの台頭とともに暇の潰し方の分からなさから主観的な退屈という概念が問題になったのであり、貴族にとっては暇の潰し方はそう問題にはなってこなかった。

 

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)
 

貨幣経済が浸透し、組織で動かないハクミコの世界観は、ブルジョワの台頭してきていない前時代を彷彿とさせる。そして暇にかこつけて、衣服に限らず、料理、釣り、音楽、祭り、機械、賭け、と異常なまでに人間的に趣味に費やす。到底動物とは思えない。一方で彼らはおそらく平民である。貴族が存在していないので態々そう呼ぶことも憚られるが、しかしながら平民的に齷齪と、明日食べるものに困って働くという姿は見受けられない。平和で自由で、理想的な世界である。その姿は極端に人間的であり、もはや人間ですら到達できない境地にいる彼らは、非人間的ではないか。

作者の樫木祐人(かしきたくと)という漫画家もずいぶんと酔狂である。まず一見して驚くその書き込み量。世界観を構築するのには、ディテールにここまで拘るのか、と感じさせる(Blu-ray特典のアニメ監督・安藤正臣との対談でも、本当に日本の漫画家か、と驚かれていた。バンドデシネの雰囲気はあるかもしれない)。私は学園祭学園の阿部草介(パーカッショニスト)さんが昔の番組で紹介して知ったのだが、パーカッションの叩く描写が正しいらしい。このことはハクミコラジオにて、誰かがその旨のメールを送っていた。学園祭学園ファンの所業である。皆が酔狂で楽しんでいる空間になった。こうして酔狂で、趣味の世界がぐるりと一周した。

  

ハクメイとミコチ 1巻 (ビームコミックス)

ハクメイとミコチ 1巻 (ビームコミックス)