グレアム・アリソン『米中戦争前夜 新旧大国を衝突させる歴史の法則と回避のシナリオ』

 グレアム・アリソン『決定の本質』は名著だった。初版も第二版も読んだはずなのだが、初版を読んだのがはるか昔であまり違いについては言及できないものの、読んだときのドキドキワクワク感は忘れられない。どうしてキューバ危機はああいう形になったのか、核戦争を回避できたのか、についての謎を解くため、必要に応じて、複層の分析視覚を我々に提供してくれた本書は、学術書に対する感想としては不適切かもしれないが、良い研究とは、極上のミステリーよりもハラハラするものだと教えてくれた。

残念ながらグレアム・アリソンは、外交における政策決定過程の大切さを伝えてくれた後は、残念だった。もちろん、著作はあり、『核テロ』は日本語訳もされているが、決定的な仕事があるわけではない。様々なエッセイを通じて我々素人に国際関係を教示してくれる人物だった。

で、本書。トゥキディデスの罠と名付けられた、覇権国と新興国は戦争しがち、というだけの、百万回言われている議論を準えた概念を通じて、アリソンは、同じく我々素人向けに国際関係の啓蒙をしてくれている。アリソンと同じくハーバードの有名人ジョセフ・ナイもまた、名著『国際紛争』にて「はじめにツキュディディスあり(訳がこうだったか記憶が怪しいけど…)」と述べているように、スパルタとアテネが戦ったペロポネソス戦争とは基本にして、人間とは常に同じような行動を取り続けるという原則に基づく限り、全てでもあるのだ。これは私も同意するところであるし、同時に、別にペロポネソス戦争でなければいけないわけでもないこともまた確かであろう。

 本書の構成は、中国の台頭について今更ながら(今更ではあるが、みんなまだ信じてないよね、と言い訳を重ねながら)説明した後、ペロポネソス戦争とはどうやってアテネとスパルタの戦争になったのか、直近500年にどのような覇権入れ替わりに基づく衝突があったのか(あるいは回避したのか)、その中でも第一次世界大戦とはどのように起こったのか、と過去の事例を見る。そして、大国志向を持つ中国によって、あるいは自己融雪意識の強い両大国によって、どのように米中は揉め、戦争可能性が高まっているか、を描く。ここでは戦争の勃発をシミュレートしているが、戦争はある種、偶発的に発生する。そして最後に、過去の衝突回避事例を教訓だと言い張ってヒントを授けてくれている。その教訓とは、スペインとポルトガルローマ教皇という高い権威によって戦争が防がれたんだから高い権威を設定すべきとか、独仏が戦争をしなかったのはEUという上位の組織があったからだと上位組織の形成を奨めたりとか、英米の衝突回避事例から賢いリーダーを擁するべきとか、特別な関係があると良いだとか、大変示唆的なヒントを授けてくれるのだ。なら、やってみろ。

様々な批判が思い浮かぶ。そして本書は、巻末のたった2ページでそのすべてを粉砕する。自分の目についた西洋の、たった32ヵ国だけを見て何になるんだと思っても、「それは百も承知である。統計分析が目的ではない」とか、事例の説明が雑すぎると思っても、「それは百も承知である。事例の因果関係を説明したいのではない、描写をしてるだけだ」とか、百万回言われてることを何を今更と思っても、「それは百も承知である。しかし先人も解決できていない」だとか、簡潔に、的確に、そして無意味に反駁をしてくれる。学術書ではないから厳密さは不要だし、それは注釈を見ても最新の論文は少なく、そもそも参照する中国研究は中国語は達者ではない著者によるものだ。また、これまでの覇権循環論に対して、すべて先人のやってきた解決策を繰り返すのだから、評論本としてもあまり有意義とは思えない。

しかし長らく政権に入って外交のアドバイスをし続けたアリソンが書いている、というだけで意味はある。アメリカ人は何を考えているのか、を見極めるヒントになるからだ。ここでアメリカが採り得るオプションは4つあり、新旧逆転を受け入れて「こっちは譲歩するからここはダメだよ」と交換条件を設定するか、中国を弱らせるか、長期的な平和を交渉するか、米中関係を再定義するか(共通のグローバルな問題に対処するための協力関係)、らしい。

言い換えれば、驚くべき策などどこにも存在しないのだ。

 

米中戦争前夜――新旧大国を衝突させる歴史の法則と回避のシナリオ

米中戦争前夜――新旧大国を衝突させる歴史の法則と回避のシナリオ