野口雅弘『官僚制批判の論理と心理 デモクラシーの友と敵』

ブクログから救済。コピペ。

過去、色々なところにレビューを書いてきたので、集約したいなぁと思っています。

 

官僚制批判の論理と心理 - デモクラシーの友と敵 (2011-09-25T00:00:00.000)

官僚制批判の論理と心理 - デモクラシーの友と敵 (2011-09-25T00:00:00.000)

 

 官僚制批判の歴史とは、官僚制の歴史と大きくリンクする。
その意味で本書は、そのタイトルを官僚制批判の論理と心理と置いているが、同時に官僚制自体がどのように捉えられてきたのかという歴史的な言説を追いかけた、思想史的なアプローチで官僚制を分析した一冊とも言える。
著者は官僚制批判の根源を、ロマン主義に求める。画一的な決定を下す官僚機構に対して、多元性を重視するロマン主義が反発するというのがその基本的な構図である。
とは言え、分析の中心は特にウェーバーである。彼は官僚制を「鉄の檻」と捉え、その形式合理性を指摘した。しかしながらテクノクラートによる支配は、ハーバーマス的な後期資本主義の中では政治化してしまう。著者はこうした事態に対して、これまでの日本はそれが上手くいっていたから問題とはなりにくかったが、それが不調に終わっているいま、リキッド・モダニティと呼ばれるかつてのような時代における、境界のはっきりとした硬直的な官僚制のあり方は転換期を迎えていると述べ、新たな官僚制の捉え方、そして新たなウェーバーの読み方の必要性について示唆を加える。とにかく、カリスマv.s.官僚制という二項対立を止めて、デモクラシーの実現の必要条件としての官僚制を前提にしながら考えるべきだということを、ウェーバーを基礎にして主張するのである。

とにかく読後感としては、面白いが、現実の官僚制に関して、思想史的アプローチで言えることはとても小さい、という感覚であった。我々のほとんどが、官僚制批判をしているかいないかに関わらず、官僚制をこの世から無くせなどとは考えていないわけで、必要だけどどう対処しましょうという話なのであって、そんなことは言われなくても解っているという感じではある。面白いけどね。