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堤林剣『政治思想史入門』

堤林先生はコンスタンの専門家だが、コンスタンと聞いてピンと来るひとはほぼいないだろう。ルソーを批判したフランスの思想家で、日本語だと岩波文庫で『アドルフ』が唯一手に入れやすいものの、殆どの場合、手に触れる機会もない。アドルフ自体も文学なので、所謂思想についての著作ではない。そして本書では基本的にコンスタンには触れられない(一語だけ出てきた)。

『政治思想史入門』と題されているものの、かなり癖が強い。自分の独自色を打ち出した教科書ともなれば、専門領域を大いにまぶしながら、とも普通は考えるが、そんなことはなく、まず時代設定はむしろルソーまで、である。確かにその後の時代で誰を語るべきか、とは悩ましい問題だが、とは言え、もう少し書けるだろう。でも、しない。では代わりに何を書くかというと、古代ギリシャ古代ローマに割くスペースの大きさと言ったら無い。じゃあソクラテスとかプラトンとか言う有名人とも思いきや、プラトンに辿り着くのですら道が長い。アイキュロスやソフォクレス、トゥキュディデス、ストア派などがこんなに語られるのは珍しいのではないか。延々と馴染みのない時代の思想家出てくるこの感じは、熊野先生の西洋哲学史を彷彿とさせるが、政治思想史だとかなり異様な印象である。

頭の良い学者先生は、たまに入門書を勘違いする。本書を読んで近い印象を抱いたのは、齋藤誠先生の『父が息子に語るマクロ経済学』だった。既存の学問を、ありがちな既存の教科書の作りに流されることなく、強い問題意識を以て、前提から一つ一つ論を組み立てる。それだけの力量があるからこそ出来る所業なのだが、ド素人は「分かる」話がないと知的体力が途中で切れるのだ。読み手の怠慢であることは百も承知なのだが。だから我々ド素人には、かなり本書がしんどいのもまた事実なのだ。非常に知的に誠実(いわゆる教科書的な文体ではなく、たまに話し言葉に近い感じで、本書の著者の実感も、弁明も混じってくる)なのだが、そこが疲れると言えば疲れる。

本書の重要な視角に、what is、what seems 、what mattersの三つがある。分かりやすいのはプラトンで、それが何であるのか、ということと、どのように見えるのか、何が大切に思われるのか、が峻別されるというのは、教科書的な哲学史・思想史でも出てくる話だが、その視角は長ーく援用される。例えばホッブズはwhat isをwhat seemsに取り込んだと捉えられるし(ただ目に見える物理的な現象のみを分析するスタイル)、ロックは彼の神学的パラダイムに基づき、すべてをwhat isに取り込むのである。といった具合に。

入門書ではなく、中級テキストと捉えれば、潤沢な注釈があるので、その次のステップにも進む…には英語・仏語を参照してることも多く、難易度がまだ高いかもしれない。

何にせよ、今後も繰り返し読んでいきたい一冊だし、是非、この先も出れば読みたい。

 

 

政治思想史入門

政治思想史入門