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小沢健二『Life』

J-Pop ☆☆☆☆☆ 90年代

小沢健二が復活したとのこと。印象として、あの時代に青春を迎えていたひとの象徴の一つであり、時代の寵児であり、逆を返せば、それ以外にとっては無関係なひと。私にとっては無関係のひとだった。でも、鷲崎健のヨルナイト×ヨルナイトで、オザケンという名前がよく話題に上ってきていて、ある回で岡村靖幸の『家庭教師』と比べてどっちが名盤かというボクシング対決(意味が分からない。私も意味が分からない)を組んでいて、邦楽にとってよっぽどの名盤という扱いになっていることを知り、手に取ることとした。  素晴らしかった。

「多幸感」。この詞がこの名盤を評するときのお題目である。では、念仏のように唱えるのだ。タコウカン、タコウカン、タコウカン…。ああ、幸せな気分になってきた。目の前に小沢健二があっぱいに広がる。が、顔が良くないので掻き消そう。立川談志が言っていた。金払いがいいと言ってるやつがケチな場面を見せると悪口を言われるが、はなっからケチですと言っておけばケチなことをしても、あの人はケチだから、で許される。フリッパーズギターが音楽をパクっていようとも、堂々と居直っている分には誰も責めない。パクり?違う、ハッピーなんだ。歌が下手?違う、ハッピーなんだよ。ハッピーだ。

渋谷系という言葉が、あまり今の渋谷を見てもイメージがつかない。ゴミゴミしすぎている。かつては違ったのだろうか。今の感覚的には表参道とかそういう感じがする(近いけど)。まぁ、単に渋谷に海外CDショップがあって、音楽の発信源だったから、渋谷系。ということで、やっぱり街はずっとゴミゴミし続けている。音は無駄がなく、クリーンだ。音幅が狭いからこそ、声質に熱量がなく、音域は不安定。だからこそ、王子。京浜東北線だ。

ピエール瀧が、倖田來未がしていたラブリーのカバーを、渋谷系でなく新宿系だ、と言っていた。どちらも同じだろう。ただ聞いてみると、違いがよく分かる。倖田來未のは、アレンジが現代的な感覚で正解だ。R&Bやらソウルやらをポップにするならこれでいい。小沢健二は音のバランスがおかしい。前に出過ぎだ、ベースもうるさい。よくよく聞くと、いろんな音数が鳴っているのに、演奏がシンプルに聞こえるのはこのせいだ。いいか、これは褒めてるんだ。正解なんてどうだっていいんだ。シンプルに、クリーンに、小沢健二のハッピーに乗っかるのだ。ついに世の中はAメジャーとEメジャーに支配されたのだ。

 

LIFE

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