黒崎輝『核兵器と日米関係 ─アメリカの核不拡散外交と日本の選択1960-1976』

1. シンゴジラ評論から

twitterで著名のMValdegamas氏(旧・スースロフ氏)が、ブログ(シン・ゴジラ論のあとのシン・ゴジラ論 - Valdegamas侯日常)で書いたシン・ゴジラ評。政治史、外交史的な立場から評論した数少ないエントリーとして、ネット界隈で注目を集めていた。

まとめると主張はシンプルで、国内政治において首相の決定があまりにも簡単に行われていること、外交においてアメリカに対する「従属」ばかりがフォーカスされ過ぎていることの2点に違和感を覚えたというもの。あまり作品を語るときに、テクストの外にある社会的な事実を、批評の参照点にしたくはないのだが、あえて既に語り尽くされたそうした言説を凡庸に繰り返すならば、東日本大震災に対する首相の無力さと、米軍に頼った事実を(ユーモアとして、あるいは、当てこすりとして)作品に重ね合わせることで政治や外交について訴えたいことがあったものと推察できる。きっと誰かの、そうした政治的な懸念が表出した結果があの映画であったのだろう。が、ここではあまりシン・ゴジラ自体について深入りするつもりはない。

本エントリで言いたいのは、そのうちの外交部分における、米国に抑圧されてきたという日本人の外交史観である。氏は、過去のエントリでも孫崎氏の残念な書籍を批判しているように(戦後史の正体、だったか)、日本外交とは従属の歴史では無かったと何度か主張している。実際、ここ十数年に出版されている、詳細な一次史料に基づいた日本外交史についての研究は、その主張を十分に裏付けている。のにも関わらず、孫崎氏のような左派に限らず、多くの右派も同様に、未だに「自虐史観」(右派が使いがちな用語ではあるが、右派も左派と同様の陥穽に嵌っていると思う)に陥っている。シン・ゴジラという作品は、そうした歴史観の現れだった。(の割には、首相は一元的な政策決定者として描かれており、非常に優秀だった。)

 

2.核兵器と日米関係から

話は戻って(というか一度も本書をしてはいないが)、『核兵器と日米関係』である。なぜシン・ゴジラと絡めて本書を紹介しているかというと、シン・ゴジラにおいて決定的な要素であった「核」という、米国が独占的に管理して日本は何もできなかったというイメージの強い兵器について、実は1960年代に入って日本が主導的に米国を動かしていたことを非常に分かりやすく示してる。言い換えれば、米国は日本を好きにコントロールできた訳ではなく、外交の結果とは、日本の政治との調整の産物に過ぎなかった。そして、日本にも核を持つ可能性があった、あるいは持とうとする事実(佐藤首相は、核保有への欲求は持っていたらしい)が存在しており、焦点になりやすい「核」ですら、決定的な従属関係にはなかった、ということである。(言葉の定義次第ではあるが、必ずしも従属関係がなかった、とまで言うつもりはない。少なくともハイラーキー(階層性)はあっただろうから。)

本書では、特にNPT条約の調印(ずいぶん長いこと日本側は調印を留保し、国務省をやきもきさせた)、およびロケット開発について、日本と米国の乖離を示している。特に後者については、既に平和的利用の名の下に原子力を利用していた日本にとって、ロケットを自国で開発するというのは、そのナショナリスティックな自尊心を充足させるのに重要なファクターであった。ロケットを作れてしまえば、核兵器化するのはあまり難しくないのだから、それもむべなるかなと思われる。また、国際政治の現実主義的な観点からすれば、こうしたインセンティブは、中国の核開発に基づく危機感に由来するナショナリズムであり、かつ同盟の「見捨てられる不安」によるものと言えるだろう。そうした理由から、日本はロケット開発について、米国の技術協力には消極的に対応し、自国での開発にかなりこだわったようである。

後知恵的には、日本は核兵器保有していないのは所与のように見えるが、より子細に一次史料(本書ではFRUSが多いだろうか)を使って歴史を追いかけてみると、もし、ニクソンによる米中の接近(いわゆるニクソンショックの内の一つであり、その後米ソデタントを引き起こした)がなかりせば、それでも尚、日本は非核兵器国という状態を維持していたのか、当然の疑問として湧いてくる。

さておき、本書は既に容易には手に入れられないかもしれないが、「自虐史観」(左派であれば、「対米従属」的な戦後史であり、右派であれば押しつけ憲法、押しつけ同盟)を抱いている多くの人々に読んでもらいたいと思う。2006年サントリー学芸賞受賞(黒崎 輝 『核兵器と日米関係』 サントリー学芸賞 サントリー文化財団)。