ハインライン『夏への扉』
夏が近づいてきたので、夏への扉を開いたが、来年以降は夏こなくてもいいかな、と思った。何せ暑いし。夏を満喫などするはずもないのだから、春でいい。春は良かった。春を満喫することとは花見というわけではなくて、すでに陽気が春だったと思うことで足りる。秋は陽気とか言っている間もなく冬になるので、諦めてすぐに春を待つしかない。春を待つこともまた良い。そのうえ春には夏を待つという醍醐味がある。つまり夏が来ればより嬉しくなる。あれ、何の話してる???
言ってることがおかしくなってしまったので、過去に遡って本文を修正しとこう。
夏が近づいてきたので、夏への扉を開いたが、もう読まなくていいかな、と思った。厚くないし。中身も軽いし。満喫などするはずもなかった。
本書を満喫することとは猫見というわけではなくて、発明家が、女に騙され、冷凍睡眠で未来に送られたが、彼はすでに幼い姪に愛されており、タイムマシンで過去へ戻って、色々頑張って、好きだった姪に大きくなったら冷凍睡眠に入ってもらうよう約束して結婚するのだ。ロリコン小説ということで事足りる。猫が活躍したとか行ってる間もなく冬眠に入るので、諦めて幼い姪を待つしかない。大きくなる姪を待つという醍醐味がある。つまり光源氏計画である。
なろう小説におけるざまぁ物でしかないと思うのだが、どうして未だにこれほど名作と名高いのか、不思議でならない。SFマガジンなどで人気投票をするとトップ10くらいに入ってくるけど、海外雑誌であるローカスとかでやると同じハインラインでも『月は無慈悲な女王』などは上位にくる一方で、本書は下の方にポツンとある。日本がズレてるのだろうか?(各国別人気比較とかないかな…)
- 作者: ロバート・A.ハインライン,Robert A. Heinlein,福島正実
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2010/01/30
- メディア: 文庫
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田渕直也『入門実践金融 証券化のすべて』
特別に語るべくもないというのが正直なところで、それはこういった入門書においては十分な誉め言葉として捉えてもらいたいのだが、それよりも田渕直也というひとは、デリバティブ関連の実務家向け入門書を書いている印象が強かったものだから、証券化についても書くというのは意外だと思う一方、マーケット業務を担当していて証券化商品を運用商品として売るか買うかするというのは当然の選択肢の一つとして上がってこようものと思われるし、その一環でデリバも証券化も両方とも分かるというのは違和感はないのだが、少なくとも領域が違うことは確かであり、両方とも入門書の域を出ないのでまぁ書けると言えば書けるか、と納得はするし、包括的に体系立てて説明してくれるのは新鮮な驚きもあってありがたいのだけれど、もう少し技術的、専門的な話はどこまで書けるのだろうか、などと感じて経歴を見ると長銀、三菱UFJ投信でマーケット商品の開発をずっとやってきたとあるので、金融工学的から鑑みたバリューの計算方法とか、より現代的なデリバセールスマンの実態とか、実際の運用サイドの目線の話は苦手そうだなぁと思わなくもないのであるが、とは言え、そういった部分は往々にして文章には出てこないもので、密教的に、そこに属する人間にのみ継承されていくため、仕方ないと言えば仕方ないのだ。
(特に意味もなく一息で書いてみた)
女性声優アーティスト ディスクガイド 、 ドリカンからこむちゃへ アニソン黄金伝説!
声優の歌声にクオリティを問われるようになったのはいつの頃からか。アニソンではない、声優の歌声である。アニソンの長い歴史の中においてどこを境目にするか、は悩ましい問題だが、90年代半ばくらいを一つの時代の変節点とすることは多いのではないか。声優ブームとしては第三次声優ブーム。これは、深夜アニメというものが出てきたタイミング と符合する。あるいは先駆けとしてのOVA文化まで遡っても良い。いずれにせよ、大人向けのアニメが作られ始めたことと関係しそうだ。(とはいえ、スラップスティックスもNG5もあったのだが)
本書は女性声優アーティストディスクガイドとあるが、声優を前面に打ち出すビジネスが始まり、声優にヴィジュアルが問われ始め、アイドルとしての役割が強まった90年代半ば以降が対象である。時代を通底してアーティストとしての第一線を行く坂本真綾の特集(坂本真綾名義で発売した全CDのディスクガイドとなっている)、椎名へきるのインタビューが掲載された後、時代ごとの各CDに対して1頁程度を割いて女性声優ディスクを紹介している。坂本真綾を冒頭に持ってくるあたり、明らかに、良質なポップスを提供するアーティストとして認識する編集方針になっていることが分かる。
世代的な好みは分かれようが、今の時代の一般的な認知度の高い水樹奈々とかを載せておけば安パイ、といった形になっていないことは非常にありがたい。最近のCDまで紹介があるが(+竹達彩奈のインタビュー付。ちなみに彼女のアルバムはあの筒美京平が楽曲提供している)、大量の声優が当然のようにCDを発売する昨今、売上ではなく、クオリティの高いCDを紹介してることも◎。音楽マニアにこそ向けたディスクガイドである。
で、なんで↓を急に紹介するかというと、逆にドリカン・こむちゃというのは、その時代のオタクに最も受け入れられた音楽を反映する音楽番組であり、掲載される楽曲の乖離ゆえである。投票を反映するランキング番組というものは、声の大きいオタクを掴まえているかどうか、が順位を上下させるという点で、純粋な人気ランキングとはズレてくる。しかし時代というか、ムーブメントを捉えるという点で言えば、実は向いているのではないか、などと思っていたりもする。たとえばtwo mixとかね。
で、名盤を紹介する↑とは違う、より時代の雰囲気を味わるのならば↓を補完的に読むと、アニソンの歴史の表と裏の両方が見えるという点で、より複層的な捉え方が出来そうに思ってます。
太田智之『債券運用と投資戦略』
タイトルの通りで、テーマのひとつは債券運用に際して、そのバリューを、利回りをどう計算しますか、という問題について。価格は市場で売買されている限りは自動で算出されるけど、債券のクーポンと、現在の市場金利を鑑みたとき、その価格は割高なのか、割安なのか、また適正価格はどこにあるのか、はどう考えればいいのか。これは常に問われてくるし、債券の問題はほとんどそれに集約されるとも言える。
もうひとつは、それらをまとめたポートフォリオはどう認識すればいいんだろうか、という問題。
話題を幅広に取り扱って、ひとつひとつの説明が薄い、というタイプの本だが、入門書ではない。金融業界は、怪しげなテクニカル分析本を除くとあまり出版点数が多くないため、5年前以上前に出た本も平気で書店に並んでいるが、一方で毎年のように規制が変わるので、きちんとアップデートされてる本は入手せざるを得ない。
しかしどうしてか、数式の導出方法や、その計算の理屈がきちんと書いてある本は、洋書か翻訳ものしかない。
ロバート・ジャーヴィス『複雑性と国際政治』
ブクログ救済プロジェクト実施中です。
やや補筆しました。
- 作者: ロバートジャービス,Robert Jervis,荒木義修,泉川泰博,井手弘子,柿崎正樹,佐伯康子
- 出版社/メーカー: ブレーン出版
- 発売日: 2008/03
- メディア: 単行本
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現代のアメリカにおける国際政治学は、1979年のウォルツの『国際政治の理論』をきっかけに変わったと言われる。それまで還元主義的だった国際政治学が、ミクロ経済的アプローチを導入することによって、国際システムという観点から語ることが出来るようになったからである。言い換えると、個別の国家について言及することだけでは不足で、いかに全体から語るのか、と言う話をしなくてはいけない、という主張である。こちらに書いたとおりである。
ケネス・ウォルツ『国際政治の理論』 - 読んだり聴いたりしたときに更新されるし、読んでも聴いてもないときにでも更新したいブログ
そしてそのアイデアは、その後の学者によって賛否両論、多くの議論が交わされた。(一番の典型が、ロバート・コヘインの『覇権後の国際政治経済学』である。)
それに対して本書、『複雑性と国際政治』という名前だと解りづらいかもしれないのだが、原題は、System Effects。つまり、システムアプローチから国際政治理論は考えなおせるよね、という内容になっている。ウォルツも含めて、多くの国際システムの議論をまとめ直したが、ややタイムラグの後、大家・ジャーヴィスから、そうではない、より動態的な国際政治理論が構築できる、と提示しているのである。
システム・アプローチは本来、ウォルツの言うような構造=パワーバランス一点張りの議論ではなかったはずだ。サイバネティクス以来の伝統があるのに、或いは社会学ではルーマンみたいなのもいたはずなのだが、国際関係論ではウォルツのせいで限定した使われ方しかしていない。特にフィードバックをシステムという見地から国際政治学に導入するのとか、実はすごく大事なアイデアのはずなのだけど、なかなかアイデアばかりが持て余し気味になっている感じがすごくするのが勿体無い。90s以降のジャービスの仕事としてはすごく良い。ここからもう一段、踏み込めれば良かったのだが。
最近のジャーヴィスの仕事は流石に年齢も年齢でいまいち…とは思っていたが、しかし↓の古典的名著の再販にあたり、序言でかなり気合の入った現代へのアップデートをしてくれており、この爺さんまだまだ元気だ、なんて思わせてくれました。
ウォルツ以来の静態的、構造的国際政治理論で思考がストップしている人に特にオススメ。ただウォルツが如何に意義のある議論を展開したのか、その前提にそもそも殆どの人は乗ってないので、万人には薦められないのも事実だが。
J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』
ミスター・アントリーニに話したエピソード、主人公があることを話すのに対して、話がわき道に逸れると、「わき道!」と指摘する授業があって、それが厭で落第したが、とは言え、一貫性のない話は厭だ、という主張があって、本書における手法はそれに近い気もする。
何の話と言われてもまとめられないが、ひじょーーーにざっくり言うと、多感な少年が、落第を切っ掛けに放浪して、その度にずるずるとダメな人生を歩んでいくのだけど、さまざまなわき道エピソードが用意されていて、ホールデンという人物が、色んな人と交わっては、その場その場でとてつもない行動力と話術を発揮しながら取り繕っては空振りする、その様子が魅力的に語られる。ひたすら孤独、孤独感と言った方が正しいか、を覚えさせる。だからホールデンが「やれやれ」と呟くたび、「春樹だ!村上春樹のやつだ!」と騒いでも、そのくらいのわき道はOKだろう。サリンジャーの魅力とは関係なくても。
春樹訳として賛否両論なのは、二人称。つまり、誰かに対する告白文として、「君」が出てくる。これを誰か、と捉えていいのか、それともより総体的、一般的な「人」として捉えるべきなのか、という論点がある。あなた、ではないyouがある、という批判な訳だ。柴田元幸は、英語話者はyouに意識していない相手を含ませているはずだ、と村上春樹を擁護したらしい。その適否は私には答えるべくもないが、ネイティブスピーカーに対して、お前ら、自分の喋ってる言葉の意味を分かってないんだよ、と批判するのだとすれば、自分の文化から他所のものを比較文化するという教科書のような好例とも言える。しかし柴田元幸は村上春樹の友達だしなぁとも思わなくもない。
キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)
- 作者: J.D.サリンジャー,J.D. Salinger,村上春樹
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 2006/04
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ロバート・コヘイン『覇権後の国際政治経済学』
ブクログ救済プロジェクト中。
- 作者: ロバートコヘイン,Robert O. Keohane,石黒馨
- 出版社/メーカー: 晃洋書房
- 発売日: 1998/08/10
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1980年代アメリカの国際政治学において、本著作は最重要文献の一に入れられるような一冊である。しかしその一方で、日本においての受容がどうであったかと考えると、それは疑わしい。その結果、なのか、それともそもそもとして国際政治学の不人気さ故なのか知らないが、現在では入手が困難な状況にあり、少なくともAmazonでさえカバー画像が出ないということは間違いない。それにはいくつかの要因があると思うのでそれを書く。(と思っていたのだが、先日書店で発見した。再販したのだろう。)
まず、本著は1998年に初めての翻訳をされており、邦題は『覇権後の国際政治経済学』となっている。原題の"After Hegemony"(1984年)よりもタイトルとしてはカッコ悪く、けれども中身に近くてよろしいと思うのだが、それでもやや、著作に関する解釈がタイトルに寄り過ぎている気がする。ちゃんとした学者であればそういうこともないのだろうけど、一般的な認識としては、あまり魅力を覚えないタイトルだ。つまり、アメリカ様の覇権が衰退後とレジーム存続に関する本だと読む人がとても多くなってしまっている。それは一側面として正しいのだが、それではあまりに本書の内容からすれば、偏狭に過ぎる。
しかし、そういう解釈になってしまうのにはこれまた原因があって、そこには日本でケネス・ウォルツが嫌われ、長らく翻訳されてこなかったという事情があると思う。本著は1979年のウォルツ著『国際政治の理論』を踏まえた上で、リベラリストの立場から反論をしたというものになっているのに、そもそもウォルツ自体が殆どまともに受容されなかった。そしてそれより先にコヘインの本著が翻訳されてしまったのだから、本著の解釈において偏りが生じてしまった。
内容としては、ウォルツへの反論としてアナーキーだからうまくいかない、なんてことはない、それでもレジームに基づいて、繰り返しゲームとか、コースの定理とか、限定合理性という観点から、うまくやれるよ、って話だった気がする(うろ覚え)。ウォルツについては、→ ケネス・ウォルツ『国際政治の理論』 - 読んだり聴いたりしたときに更新されるし、読んでも聴いてもないときにでも更新したいブログ
ちなみにこの後、ネオネオ論争という、ネオリアリスト(ウォルツ)とネオリベラリスト(コヘイン)の間の論争があった。(こんなまとめを見つけました。長らくIR業界を支配していたということが分かります。どぞー Neorealism and neoliberal institutionalism: born of the same approach?)勝ち負けはさておき、ウォルツの議論が理解できないと、その後、何を話し合ったのか、も分からない。だからみんな、コヘインを読む前にちゃんとウォルツ読もうぜ。これに尽きる。それかこの議論にいっさい乗っからないか。80年代の日本の学者はそういうスタンスだったし、それはそれでいいと思う。その代わりアメリカ様が認めてくれたぜとばかりにコンストに飛びつくのもダサいから止めよう。あとは、ウェントの翻訳やりたいね。